社会学や政治学や法学の世界では「暴力」という言葉はドイツ語の“Gewalt”(ゲバルト)の定訳語と して使われることがある。その意味で社会学での定訳語としての「暴力」は日常使う意味合いと異なる ことがある。同じことは英語にもあり、ドイツ語“Gewalt”を“violence”(バイオレンス)と訳す ことがある。英語の“violence”の日常的な意味は、頻度順定義で平易なロングマン辞書などを見ると わかるように、“behaviour that is intended to hurt other people physically”(他の人びとを身体的に 傷つけることを意図した行為)である。日本語の「暴力」の語感に近い。
日本語における日常的な「暴力」の意味合いは、大辞泉をひいてもわかるように、(1)乱暴な力・行為。 不当に使う腕力。「―を振るう」(2)合法性や正当性を欠いた物理的な強制力、という意味がある。つまり、 政治学の「暴力」とは意味合いが異なる。「暴力装置」というのは、各種の暴力を独占して扱う国家の 装置(“apparat”)という特性を述べている。各種の暴力をあつかう装置(“apparat”)だから「暴力 装置」なのである。タコ焼きを作るのがタコ焼き器(“apparat”)というのと同じことなのだ。タコ焼き 器もまた、コンロ、金型、ひっくり返し用キリ、油引き、粉注ぎと各種の要素をまとめた装置(“apparat”) なのである。で、タコ焼きは食えますよね。でも、タコ焼き器(“apparat”)は食えない。国家は暴力では なく暴力「装置」(“apparat”)。もちろん、その文脈でいうなら、自衛隊は「暴力」ではある。そして 「支配手段」(“a means of domination”)でもある。だが、「暴力装置」ではない。よって、自衛隊は 暴力装置ではない。 http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2010/11/post-7cd1.html